きもちわるい赤ちゃん

人生の節目節目で忘れたくない気持ちをメモ

もうまじでよくわからん

下ネタ言ったりセクハラ許容しちゃうような女の子は他の女の子にとって迷惑なんだよ、下ネタ言わなかったり本気で嫌がる方が男に悪者にされちゃうから

 

こんな意見を耳にすることが多くなった。目から鱗が落ちた。今は環境に合わせて下ネタを言っていないけどちょっと前までは盛り上がるために下ネタ言ったりしていて、自分が楽しんでいることが他の人を殴っていることに全く気づかなかった。話に乗ってこない人の前ではそういう話しない、公共の場で大きな声で言ったりしないなどの配慮はしてるからこれで十分だって思っていた。

 

フェミニズムについて少し考えるようになってから、テレビとか見ててもこれは大丈夫なのかな?って疑問に思うことが多くなった。そういうことは変えていかないとって思う反面、面白いものは面白いし、今まで好きだった事や人たちを否定したくないっていう思いが強くて、でもやっぱりそれで潰されていくもの、殴られていくものを見ていて、耐えられなくなって、最近はずっともやもやしている。

 

名誉男性 ちんよし みたいな言葉がどうしても耐えられない。確かにこれまでの私は異性からも迎合されるためなら下ネタだって全然言えたし、それで面白いって言われることはすごく嬉しかった。それで調子に乗った人にセクハラまがいのこと言われても、そういうのやめてーってかわしていた。今は?本当は今だってそのままだ。下ネタを言わなくても生存してけるようなコミュニティに属してからは下ネタ言わなくなった。寧ろ今は自分にそれが求められてないってことはわかっていたからそういった話題になっても話に乗らないでニコニコしていた。でもやっぱり旧友とLINEしたりしてるとそういう話になって、のってしまうことがある。どちらにせよ、自分は多分そういう言葉をかけられて不快になったことはなかったと思う。信頼関係がある人にはそういうこと言われたら嫌って言えるし。

 

ほんまかな、自分はそうやって周りに流されて生きてきて軽く見られたり馬鹿にされることもあった。それを全て嫌って言えていたかな、というか私にとってはそれでも自分が盛り上がれるコミュニティに居られることの方が重要だったから多少馬鹿にされても笑って受け流せた。幸せだったんじゃないかなって思う。そんな私の姿を見て傷つく人がいることなんて当時は考えられなくて、今になって、あれで良かったのかなって思っている。それで傷ついていた人たちほんとにごめんなさいって思っている。人を傷つけた自分でいたくないっていう保身の気持ちなのかもしれないけど。

 

これからどうやって生きればいいかな。結局自分流されて生きていくことしか出来ないしその場で自分が生存するために、一番いいと思うことはできてしまうけど本当に嫌なことがあった時に誰も助けてくれなくなるかもしれないと思うと怖い。

 

自分だってこれはされたくない、嫌だっていう線引きはあるし誰しもがそれを嫌って言った時にその意見が尊重されたらいいなって思うよ。そのラインは人によって違うけど私は楽しんでる、OKだっていうラインまでぶち壊されたくない気持ちもあって、そういう私が変わらなあかんのかな。この人はここまでは嫌だ、この人はこれなら楽しめる、みんなの嫌も楽しいも尊重されるようになってほしいって言う願いは高望みなんかな。セクハラとか下ネタとかあしらえるような女がいい女っていう風潮は当たり前になくなってほしい。でもそれがなくなったら私は本当に空っぽになってしまう気がする。この前観た映画で、かわいい女の子がかわいさで生きていけなくなって自分が空っぽだと気づくみたいな表現があって、それを空っぽとは言わないよって私は思った。それが空っぽというなら私だって空っぽになってしまう。私はかわいくはないけど愛嬌だの愛想だのそういうのに重きを置いてきて、それが求められなくなった時今度は何を求められるのかさえ分からない。技術だろ。一番低いラインに合わせることだけが正しいんかな。考えれば考えるほどわからんくなる。自分が今の生き方とか言われることとか享受してるのかもわからなくなった。誰の敵にもなりたくないだけだ。

女の子だから嫌だろうって考えるのもその人を個人として見れてないんじゃないの?って思ってしまう。女が尊重されるとか少数派が尊重されるとかじゃなくてそういうの関係なく全ての一人一人が尊重されることを求めるのは本当に難しいのはわかってるけどそれでゴール手前に置いちゃったら結局変われないままじゃないんって思ってしまう。どれだけ考えても正解が分からない。