きもちわるい赤ちゃん

人生の節目節目で忘れたくない気持ちをメモ

2022.5.15

ノリでテニスサークルに入りました。なんかあたしは斜に構えた捻くれた人間でしかも陰キャ畑出身なのにテニサー入ったらおもしろいかなっていうのとなにかのネタにならないかなっていうのとあと自分に自身がなさすぎるからテニサーで認められるような人間だっていう担保が欲しかったっていうのが入った理由です。新歓の時は飲みサーだということを隠していた(けど勿論滲み出る)ためサークルでの公的な酒の席は初めてでした。

初めにビールがみんなに一杯配られて、でもまあそれも上回生とかが飲んでくれるしほんまにあたしはビールとかほぼ飲んでなくて、飲みサーってわかってた側からしたら物足りなさも少しあったぐらいの感じやったけどそんな甘いことやってられるのは1女だけ。1男はぐいぐい飲まされるわけです。

「1男みんな自己紹介して」と言われて前に出てきた1男が名前と意気込みを言った後に始まるコール。最後に自己紹介したあたしの地元で一番の公立進学校から一浪して京大に入った男の子が「僕は生まれてから19年間一度も組織というものに属したことがありませんでした」そう言った後ビール瓶一本を飲み干した。

嗚呼父よ母よ、進学校の同輩どもよ。中高と青春を犠牲にし京大に行った彼は今日晴れて飲みサーの一員となったのだ。と大学に入ってからの彼しか知らないあたしさえ少し切なくなり、そして惜しくも京都大学やそれに準ずる国公立大学の受験に失敗し浪人生をしている友達の顔が思い浮かんだのでした。

あたしは京大が好きで京大の人間を観察するのが好きなので、京大の飲みサーに入るような所謂陽キャの人間は珍しい人種であることを知っています。そして一部の陽キャをテニサーに入れようと躍起になっていたのが我々の先輩の2回生たちです。そして来年は我々が新1回生の陽キャを勧誘することになるのです。

そしてあたしの浪人生お友達はなんだかんだ小綺麗な陽キャばかりです。そう、今日新歓で飲まされていた1男のように。
どういうことかわかりますよね。
あたしは考えるのを辞めました。

帰り道、2女の先輩がこっそり教えてくれました。「こうやって確定コンで1男いっぱい飲ますのは酒癖の悪い子がいないか見極めているんだよ。酔って暴力的になる子や女の子に手を出すような子にはサークルを辞めてもらわないといけないからね。」

 

【注意】
・この物語はフィクションです
・登場人物は全て架空の人物です
・登場人物は全員成人済みです
・お酒は20歳になってから。

2022.3.14

初めてラブホテルに行きました。相手は一年半の付き合いの恋人。繁華街での買い物のついでぐらいの気持ちで。観覧車に乗ってキスしてスイッチ入っちゃって。まあお互いそろそろ良いかなって気持ちで来ていたのでほぼ予定調和ってやつです。ホテル街までの道のりはまあまあ怖かったしホテルの前に女の子二人組が屯ってて、そのうちの1人が通りすがったぽいおじさんと一緒にホテルに入って行った。

うわー援助交際ってほんまにあるねんな、田舎出身でわからんかった。ボタン式のホテルで安心した。本当は高校生は卒業後4月になるまではラブホテルの使用は法令違反みたいなこと調べてたから。恋人が「18歳ほんとに超えてる?」とか冗談で言ってヒヤヒヤしたけど。

すんなり部屋に入れたものの初めて同士の2人はどうすればいいかわからなくて色んなドア開けてみたりなかなかそんな雰囲気に持っていかなかったけどいざ!と行為へ。

下着になってすぐブラジャーのホックヘ手をかけられた。もっと下着見てくれても良かったのにな。慣れない手つきながら片手でホックを外したのに驚き。

愛撫を重ねる。ファラチオはしたことあったけどクンニされたことはなかったので恥ずかしいと思いつつ丁寧にしてくれたのでよかった。乳首もめちゃくちゃ舐めてくれたけど陥没乳首でごめんね。そして挿入。コンドームを装着するのも素早くて驚き。浮気はされてないはずですけど不安になっちゃうね。他はすごく手際悪かったので。なかなか入りづらかったけどなんとか挿入。動かす余裕なし。その後、大出血。オナニーで指入れとかもしたことあったから絶対出血はしないと思っていたのに。

初体験を控える方、生理の時期じゃなくてもナプキンを備えておくと安心です。

 

シックスナイン。アナルなんて絶対舐めさせたくないと思っていたのに気持ちよさが勝ってしまった。

2回戦。バックで挿入。自分上付きだと思っていたけど意外とバックでも入るものだな。

あたしの少し太った体型を「前より肉付きあっていい」って言ってくれたから痩せられない。ちゃんとあたしの裸を目に焼き付けて欲しい。恋人への愛が深まった気がした。恥ずかしいところを曝け出し合うっていいもんかもしれないなってちょっとだけ思った。全てを見せた上であたしのことを好きでいてくれる人がいるんだって自分の存在を少し肯定できた。

2022.1.5

正直ずっとこのこと書くことに対して抵抗あって自問自答してるけどその葛藤も含めて自分の中でいろんな感情が渦巻いた数日間だったからまとめておく。

 


一月二日、母方の祖母が亡くなった。数えで81歳。物心ついてから身内の不幸は初めてだったのですごく戸惑っている。倫理で習った冠婚葬祭避けた方がいい日、みたいな日を避けて今日一月五日、祖母のお通夜が終わった。

 


おばあちゃんを看取った後くたくたになって帰ってきた母親にこう聞かれた。「お通夜だけにする?葬式だけでもいいけど」

一週間後に共通テストを受ける私を気遣ってのことだったらしい。結局私はお通夜だけ行くことになった。あ、そんな感じなんだ、って思った。身内が亡くなったらお通夜行ってお葬式行って暫くは何もせず喪に服すのが当たり前だと思ってたし、幼稚園の頃にひいばあちゃんが亡くなった時も小学校中学年ぐらいの時にひいじいちゃんが亡くなった時も当たり前によく理解せぬまま二日ぐらいお休みした記憶があるのでそういうもんなんだ、って思っていた。けど身内の不幸で学校休んでる人って中学とか高校入ってから見たことないから(そりゃ教えてくれへんやろし)ずっと不思議に思っててんけど、それって親がおらんと何もできない子供だから連れていかれてただけで、娘でも配偶者でもない私は別に行っても行かなくてもいい存在だったんかもってちょっと思ってしまって寂しかった。

 


朝から夕方まで塾でなんとなく勉強した後、電車に乗って斎場に行った。斎場にはもう親戚全員集まっていた。

お父さんの会社から届いた電報がなぜかおばあちゃんが死んだのにおじいちゃんが死んだことになっていたっぽくて最悪だった。葬儀場の人に確認されて、やべ!って感じで全力でお母さんがなかったことにしようとしていた。

ほぼ会ったことのない親戚のおじちゃんに「ちっちゃかったころはずっと俺の膝に乗って遊んでたんやで」って言われてピンときてないままに大人のように愛想笑いをする弟が少し切なかった。そりゃもう中3だし大人みたいな立ち居振る舞いできるのも当たり前なんだろうけど弟はいつまでも無邪気な子供でいると過信していた。そんな顔がもうできるようになっていたなんて知らなかった、いや、気づかないふりをしていただけかもしれない。だからお焼香の時、「俺はよくわからへんから姉ちゃんが先に行ってくれ」みたいな目配せをしてくれたこと、私もお焼香の仕方よくわからないままになんとなく、めちゃくちゃ早いスピードで終わらしてしまったような気がするけど、私とほぼ同じような尺で私を見習ってお焼香した弟が少し嬉しかった。私はまだ弟のお姉ちゃんとして威厳をちゃんと保てているかもって思った。

 


おじいちゃんが「喪主の方」と呼ばれることが言いようもなく悲しかった。おじいちゃん、こんな早く「喪主」になっちゃうんだ、って。悲しいに決まっているけど悲しいのか悲しくないのかよくわかんない顔をずっとしていて、それが私の中での悲哀感を更に増していた。

 


お寺さんのお経が終わり、少しお話をされた。生前のおばあちゃんと親交があったらしく、おばあちゃんの名前も交えたエピソードを話してくれた。おばあちゃんの生前の意志、そしておじいちゃんの意志で戒名はおばあちゃんの名前そのままらしい。いいな。おばあちゃんは本当に周りからすごい信頼されてたんだなって思った。

 


明日のお葬式に行けない私はおばあちゃんの顔を見られるのが今日で最後になる。最後なんやからいっぱい顔見て伝えたいこと伝えとき!みんなに言われておばあちゃんの遺体の前に立つ。勉強頑張るから安心してね。言おうとしたら涙が止まらなくなった。誰も他には泣いていなかった。たぶんみんなすごく我慢してた。80年間生きたおばあちゃんのうちのたった18年間しか知らない私がこんなに泣いていいのかなって思った。おばあちゃんはもう戻ってこない。痩けた頬を見て実感する。家に行く度に「すずちゃん」って出迎えてくれるおばあちゃんはもういないんだ。正直年末ぐらいから入院してて家族LINEにもおばあちゃんの病状とかはずっと送られてきてたしそろそろなんだなって心構えはしていたけれどやはり寂しいものは寂しい。

 


生前、通知表が出た時におばあちゃんのところに見せに行ったら「よくがんばったね」って言いながら見せ賃と言ってポチ袋に入れた五百円をくれた。二学期が終わって高校生活でほぼ最後の通知表を貰ったとき、入院してたおばあちゃんのところに見せに行ってよってお母さんに言って通知表を持って行ってもらった。お母さんは「もうおばあちゃんは意識もないから持っていっても意味ないで」って言われたけどそういうことじゃなかった。五百円なんていらなかった。中学の頃はそこそこ成績優秀だった私は「すずちゃんすごいね、お母さんとかこんな成績とってなかったよ」とかいっぱい褒めてくれた。高校に入ってからなんとなくダレ始めて成績が著しく下がっても変わりなく「すずちゃんは国語がすごいね」といいところを褒めてくれた。高3になって気持ち切り替えて勉強して今すごく成績も良くなったんだよ。学年順位も150位ぐらい上がったんだよ。伝えたかった。そして大学の合格通知も見せたかったけど叶わなかった。

 


親がいなくなるって考えただけで無理だ。ちょっと前からおばあちゃんのことでずっとバタバタしてるお母さんに、受験のこととか彼氏のこととかめちゃくちゃ相談して頼りまくってしまっててすごく申し訳なかった。私もう18歳だしこの4月から法的にも成人なのにほんとに親がいなきゃ何にもできないことをこのしばらくの期間でものすごく実感した。自立しなきゃなってほんとに思います。親孝行します。この決意を忘れないようにする。

六月

 雨の日が好きだった。彼女はいつも傘を忘れて、僕の傘に入ってきた。
 ずっと僕に片想いの相談を持ち掛けて、何度も涙を流した彼女。僕は彼女の泣き顔が好きだった。
 彼女が僕のものになってからも、彼女はよく涙を流した。部活のミーティングで一人熱くなって昂りながら涙を流した彼女。僕は彼女の泣き顔が好きだった。
 遠くへ行かないでと彼女は言った。どうすることも出来なかった。僕は彼女を幸せにすることが出来なかった。
 彼女と別れた後、何度か寂しそうな声の彼女から電話が掛かってきたが数ヶ月するとそれすらもなくなった。インスタグラムのストーリーにたまに出て来る彼女は元気そうだった。

 一目見ただけで彼女だとわかった。彼女は「久しぶり!元気してた?」と明るく話しかけてきた。もう別れてから四年の月日が経つ。いくらかの世間話の後、お互いの現在の恋愛の話になり、彼女はこう言った。「今の彼氏は、丁度身を寄せたら私のおでこ辺りに耳がくるの。」
 aikoが好きな彼女だった。付き合っていた頃、彼女に送ったLINEを思い出した。「今テレビ見てて思った。aikoの歌詞に少し背の高いあなたの耳によせたおでこってあるけど楓子のおでこって僕の首ぐらいだなって。」
 彼女は今、他の男を想像しながらaikoを聴いている。彼女は僕のLINEを覚えていたのだろうか。
 
「今の彼は私が可愛い?って聞かなくても可愛いって言ってくれるの」
 若くてシャイだった僕は恥ずかしくて可愛いって自分から伝えたりなんかしなかった。本当はきっと誰よりも思っていたし本当はは伝えたかった。今はアイプチで二重にしている目だけれど彼女が重たい一重で悩んでいる時からずっと彼女は可愛かった。茶髪にしなくても、前髪薄くしなくても、厚底なんか履かなくても、ありのままの彼女が好きだった。
 
 はっきり言って僕はこれ以上もう彼女に踏み込むことはないと思った。彼女が僕を思い出す時はきっと、ただの思い出で、彼女は今を歩いているのだ。
 「最近は泣いてるの?」泣き虫だった彼女に最後にこう聞いた。「残念ながら泣いてない。映画ですら泣けない。」そして「今の彼氏は私の笑顔が一番好きって言ってくれるんだ」そう言ってにっこり笑った。
 この夏は例年より降水量が少なかった。

自分のゲスな部分見逃してまで誰かを否定することに疲れちゃったからあんまり誰のことも否定したくないし否定してる人を見るのもしんどくなっちゃった。自分のダメなところも見つめた結果それも含めて愛していこうって思えるようになって来た気がするから今は他人の良くないところも否定せずに居られるようになり始めてる。私は石を投げられる立場の人間ではないですし、他人を貶める時に自分は本当に完全に正しいことをしているのかなって不安になっちゃったの。結局善悪なんてなくてあるのは事実だけなんだよ。それをどう受け取るか

もうまじでよくわからん

下ネタ言ったりセクハラ許容しちゃうような女の子は他の女の子にとって迷惑なんだよ、下ネタ言わなかったり本気で嫌がる方が男に悪者にされちゃうから

 

こんな意見を耳にすることが多くなった。目から鱗が落ちた。今は環境に合わせて下ネタを言っていないけどちょっと前までは盛り上がるために下ネタ言ったりしていて、自分が楽しんでいることが他の人を殴っていることに全く気づかなかった。話に乗ってこない人の前ではそういう話しない、公共の場で大きな声で言ったりしないなどの配慮はしてるからこれで十分だって思っていた。

 

フェミニズムについて少し考えるようになってから、テレビとか見ててもこれは大丈夫なのかな?って疑問に思うことが多くなった。そういうことは変えていかないとって思う反面、面白いものは面白いし、今まで好きだった事や人たちを否定したくないっていう思いが強くて、でもやっぱりそれで潰されていくもの、殴られていくものを見ていて、耐えられなくなって、最近はずっともやもやしている。

 

名誉男性 ちんよし みたいな言葉がどうしても耐えられない。確かにこれまでの私は異性からも迎合されるためなら下ネタだって全然言えたし、それで面白いって言われることはすごく嬉しかった。それで調子に乗った人にセクハラまがいのこと言われても、そういうのやめてーってかわしていた。今は?本当は今だってそのままだ。下ネタを言わなくても生存してけるようなコミュニティに属してからは下ネタ言わなくなった。寧ろ今は自分にそれが求められてないってことはわかっていたからそういった話題になっても話に乗らないでニコニコしていた。でもやっぱり旧友とLINEしたりしてるとそういう話になって、のってしまうことがある。どちらにせよ、自分は多分そういう言葉をかけられて不快になったことはなかったと思う。信頼関係がある人にはそういうこと言われたら嫌って言えるし。

 

ほんまかな、自分はそうやって周りに流されて生きてきて軽く見られたり馬鹿にされることもあった。それを全て嫌って言えていたかな、というか私にとってはそれでも自分が盛り上がれるコミュニティに居られることの方が重要だったから多少馬鹿にされても笑って受け流せた。幸せだったんじゃないかなって思う。そんな私の姿を見て傷つく人がいることなんて当時は考えられなくて、今になって、あれで良かったのかなって思っている。それで傷ついていた人たちほんとにごめんなさいって思っている。人を傷つけた自分でいたくないっていう保身の気持ちなのかもしれないけど。

 

これからどうやって生きればいいかな。結局自分流されて生きていくことしか出来ないしその場で自分が生存するために、一番いいと思うことはできてしまうけど本当に嫌なことがあった時に誰も助けてくれなくなるかもしれないと思うと怖い。

 

自分だってこれはされたくない、嫌だっていう線引きはあるし誰しもがそれを嫌って言った時にその意見が尊重されたらいいなって思うよ。そのラインは人によって違うけど私は楽しんでる、OKだっていうラインまでぶち壊されたくない気持ちもあって、そういう私が変わらなあかんのかな。この人はここまでは嫌だ、この人はこれなら楽しめる、みんなの嫌も楽しいも尊重されるようになってほしいって言う願いは高望みなんかな。セクハラとか下ネタとかあしらえるような女がいい女っていう風潮は当たり前になくなってほしい。でもそれがなくなったら私は本当に空っぽになってしまう気がする。この前観た映画で、かわいい女の子がかわいさで生きていけなくなって自分が空っぽだと気づくみたいな表現があって、それを空っぽとは言わないよって私は思った。それが空っぽというなら私だって空っぽになってしまう。私はかわいくはないけど愛嬌だの愛想だのそういうのに重きを置いてきて、それが求められなくなった時今度は何を求められるのかさえ分からない。技術だろ。一番低いラインに合わせることだけが正しいんかな。考えれば考えるほどわからんくなる。自分が今の生き方とか言われることとか享受してるのかもわからなくなった。誰の敵にもなりたくないだけだ。

女の子だから嫌だろうって考えるのもその人を個人として見れてないんじゃないの?って思ってしまう。女が尊重されるとか少数派が尊重されるとかじゃなくてそういうの関係なく全ての一人一人が尊重されることを求めるのは本当に難しいのはわかってるけどそれでゴール手前に置いちゃったら結局変われないままじゃないんって思ってしまう。どれだけ考えても正解が分からない。

わかんね

今まで好きな人と付き合ったことって正直ほんまに1回もないな

それこそほんとに好きな人と付き合う人は別で捉えてるから自分クズだなーと思う

ほんとに好きになるのは共感できて尊敬できる人 私が抱く親近感さえ美化された相手で尚且つ自分にない一途さや聡明さがある人 そんな人はそもそも自分のこと好きにならないし、自分のことなんて全く眼中にない所も含めて好きになってしまう

でも私だって愛されていたいし好きって言ってくれる人は単純に嬉しいしそれに自分の価値感じちゃうし断れないしそうやって付き合ってって言われたら断れないし結局そうやって付き合った人とは価値観の相違に気付いたり私を手に入れることに重きを置きすぎて付き合ってからは釣った魚に餌やらなかったり蛙化現象だったり結局上手くいかない

いっそ割り切った関係でもいいかなって思う。人生一度限なので色んな人としたいなっていう気持ちは正直ある それが一番相手のことを知れるのでは無いかと思っているし

私が結婚したいって思ったら好きになってくれる人を好きになり、尊敬するという形で折り合いを付けるしかないのにそんなことをできる気がしないから結婚というシステムに拘る未来は見えてこない

そこに折り合いつけれるようになるまでは結婚なんて考えず自由に恋愛っていうか楽に生きちゃえばいいんじゃない?と

 

そうして使い切りの人生を過ごす中で好きな人と1回限りでも交じわえるようなことがあればそれが1番じぶんにとって幸せなんじゃないかな